MLB史上最多通算となる601セーブの記録を持つトレバー・ホフマン投手が、引退を発表しメジャー18年のキャリアを終えた。現役引退後は、パドレスのフロント職に就くことが決まっている。通算1035登板、防御率2.87、1133奪三振。
1993年にフロリダからデビューしたホフマンはその年の夏、ゲーリー・シェフィールドとリッチ・ロドリゲスの交換トレード相手として、他2選手とともにパドレスに入団。パドレス史上記憶に残る"Fire Sale"、チーム年俸大幅削減のためのトレードだった。100打点を叩き出した若き主砲シェフィールドの交換相手として、ファンから見れば物足りない無名選手だった若きホフマンは、パドレス入団直後に登板した4試合全てで失点。その後の活躍ぶりからすると思いもよらない、苦々しい新天地でのキャリアの始まりだった。
その後のホフマンの活躍は言うに及ばず、2008年シーズンまでの16年に渡り、552セーブをパドレスで挙げる。AC/DCの"Hell's Bells"をバックで入場するシーン、通称"Trevor Time"は後に多くの抑え投手の登板シーンに模倣された。抑え役の地位向上にも一役買ったことは、殿堂入りが確実視されているホフマン以前に通算最多セーブ記録を保持していたリー・スミスが、いまだ殿堂入りを許されていない事からも明らかだ。4度のポストシーズン進出、1998年のワールドシリーズ進出にも貢献。その間8度のオールスター選抜、2度のサイヤング投票2位という名誉も授かった。
90年代半ばぐらいまでは95マイルの速球を誇っていたホフマンだが、彼を稀代のクローザーたらしめた決め球は、落差の大きいチェンジアップ。球速が80マイル後半まで落ちたキャリア晩年も抜群のコントロールを駆使し、三振の山を築いた。
現役生活をパドレスで終えるかと思われていたが、当時の筆頭オーナー、ジョン・モーアスの離婚から事態は変動。財産分与によりチーム年俸は大幅削減、2008年オフの再契約交渉はまともなものとならず、ケビン・タワーズは元々割に合わないオファーをすぐに引っ込め破談に。パドレスとホフマンは1993年の出会いだけでなく、別れでも苦い思いを味わった。
FAとなったホフマンはブリュワーズに移籍し、現役最後の2シーズンを過ごした。2009年はパドレス時代と変わらぬ活躍を見せたものの、2010年シーズン前半には不調に悩まされ、クローザー役を失い、シーズン終了後に再びFAに。ブリュワーズが調停を申し出てホフマンが断るという事前の紳士協定により、他チームとの再契約が成立した際には、補償ドラフトをミルウォーキーにプレゼントするという粋な心遣いを見せた。
2010年オフもクローザー職を探し、かつて自らを放り出したケビン・タワーズ元パドレスGM率いるダイヤモンドバックスを入団先の候補としていた。しかしアリゾナがJ.J.プッツと契約した時点で、その可能性は費えた。奇しくも、ホフマンはKTに二度の引導を渡されたことになる。
セットアッパーとしてキャリアを繋ぐ事は出来ただろうが、今までの実績が築き上げた高い誇りがそれを許さなかった。それはそれで良いと思う。実のところ俺はホフマンよりも、入道ことロッド・ベックが締めた試合を観戦した数が多いが、そんな稀有なパドレスファンにとっても、ホフマンは別格だった。できればパドレスでキャリアを終えて欲しかった。しかし実力を買われたものではない、儀礼目的での一日契約を拒んだのもホフマンらしくてむしろ清々しい。
いちパドレスファンとして、ホフマンについては到底語りつくせないせいか、どうしても力が入りすぎてしまう。夜も遅く考えもまとまらないが、書かない事には気がすまない。引退の喪失感はピーヴィー、エイドリアンが去った時の比ではない。パドレスを離れた時はそう思わなかったことを考えると、いつかサンディエゴに帰ってくるだろうと期待していたのだろう。
個人的な印象としては、ゲーム中でも、クラブハウスでも、文字通りパドレスの守護神だった。サンディエゴのFashion Valleyで、一度だけホフマンに会った。帽子にサインをもらい、握手してもらった。頭ちっちゃいなという第一印象だった。初めてホフマンを観たのは、2001年、ブライアン・ローレンスが先発した試合で、確か同点の場面で出てきた。速球派のイメージを抱いていたため、90マイル足らずのストレートに肩透かしを食らった気分だった。しかし今思えば、高く左足を上げる独特のフォームを見られたことは僥倖だ。
他にはグウィンしか居ない弱いチームで、淡々とゲームを締め続けた。でもたまに勝ったりした。
おそらくそう遠くない将来、ヤンキースのマリアーノ・リベラに通算セーブ記録は抜かれるだろう。でも大した問題じゃない。ホフマンの後を継いだクローザー、ヒース・ベルだって前任者に劣らない成績を挙げている。そのチーム編成は決して間違っていないが、ベルの銅像がペトコパークに建つことはおそらくないだろう。
お世辞にもスター集団とは呼べないチームで長年プレーしていたおかげで、一層輝いて見えた。だからこそはっきり言える。
サンディエゴには、トレバー・ホフマンが居た。パドレスは、トレバー・ホフマンのチームだった。