2018年01月31日

ケビン・タワーズ死去

1995年から2009年までパドレスのGM職を務めたKTことケビン・タワーズが、甲状腺がんで56歳の若さで亡くなった。

日本語でも報道されている。 『投手として1982年ドラフト1巡目(全体1位)でパドレス入り 』となっているが、正しくは二次ドラフト( 過去に指名されて契約に至らなかった選手のみ対象。1965年から1985年まで適用)の全体1位であるため、現在のドラフト税遺体1位指名とは意味合いが異なる。いずれにせよ大きな期待が寄せられていた投手だったが、AAAで肘を故障しメジャー経験なく選手引退。スカウト職を経て、1995年にパドレスGMに就任。1998年のNL優勝を含む4度の地区優勝にチームを導いた。

2017年のワールドシリーズ第4戦中に行われたガン闘病の啓蒙プロモーション"Stand Up To Cancer"にて、アストロズのA.J.ヒンチ監督は支えたいガン闘病者の名前を書くプラカードにケビン・タワーズの名を記した。それ以前にKTの病状はメディアで取り上げられることはなかった。ただ親しい間柄の野球関係者は知っており、昨年のスーパーボウルパーティーはKTの様子伺いもかねて、代理人バリー・アクセロイド宅にて、セオ・エプスタイン( カブス球団社長 )、カーク・ギブソン(ダイヤモンドバックス元監督)、ブライアン・キャッシュマン(ヤンキースGM)、バド・ブラック(元パドレス、現ロッキーズ監督)、フレッド・アールマン・ジュニア(パドレスアシスタントGM)と催された。

KTは伝統的なスカウティング手法と統計を共に取り入れた初期のGMだったが、誰にでもオープンで人間味あふれる誰からも愛される男だった。昨今のテキストメッセージより会話でのコミュニケーションを好んだ。シーズン直前にいきなり同地区ライバルのドジャースを見下すような様な発言をして相手の闘争心に火をつけたり、ダイヤモンドバックスがスティーブ・フィンリーをパドレスに送るのをためらっているのを見て「俺たちをハンセン病療養所扱いにしている」等とコメントしたり、時にオープン過ぎるためtwitterをやっていたら間違いなく炎上していただろう。

パドレスGM在任中は常にチーム予算不足に悩まされながら、創造的な補強を行っていた。特にブルペン陣は低予算でトップレベルに構築する補強はお手の物だった。選手をトレードで放出した代償に金銭とトレッドミルを獲得したりもした。ちなみにすぐに壊れたらしい。

しかし一方で緩い一面もある。パドレスのアシスタント達はチームのプライベートジェット移動時は、後方に座るKTから目を離さないように気を付けていた。というのも、選手達との距離を置かないKTがトランプを興じビールが進むうちに、つい複数年契約を約束してしまうことを恐れていたからだ。しかしその心配甲斐なくその投手3年契約を結んでしまう。数週間後、その投手が打ち込まれているのをプライベートボックスから見ていたKTは「このピッチャーは酷いな。うちの先発ローテーションにいるのが信じられない」と罵詈雑言を放っており、アシスタントたちは頭を振るほかなかったという。

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豪腕 使い捨てされる15億ドルの商品 - では、怪我ですぐ休みがちな若い選手達について愚痴るオールドスクールな一面も記されていた。

パドレスGM解任後、2010年シーズンからダイヤモンドバックスGMに就任し、初年度に地区優勝。しかし翌年以降チーム成績は下降し、2014年オフに解任。翌春、単身アリゾナで働く後任GMのデイヴ・スチュワートに部屋を貸していたのは、他でもないタワーズだった。スチュワートが就任する際、ダイヤモンドバックスはタワーズに別のポジションを打診したが、自分が連れてきたスタッフも居るため影響力を球団に残すのはスチュワートに対してフェアではないと固辞した。実に好漢である。

バックネット越しに投手有利なペトコパークに文句を言うフィル・ネビンと試合中に口論したり、ゲン担ぎでホフマンの登板時はオフィスに籠って見ない等、とにかくエピソードの枚挙に暇がない。

個人的には、私がピオリアの春季トレーニングを観戦した2004年、マーク・グレイスをそっちのけでピオリアでサインボールをもらった事が思い出だ。無理やりで申し訳なかったが2ショットも撮った。グウィン、ホフマンに勝るとも劣らないパドレスの英雄だった。


posted by つかみ男 at 19:41| Comment(0) | パドレス-ニュース | 更新情報をチェックする
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