2011年06月09日

震災ボランティア (2)

二日目に訪れたお宅で、翌日も作業したいという希望をグループとして出したが、ボランティアのコーディネーターの方に退けられた。一箇所に留まるより、一軒でも多くのお宅に伺ってボランティアの作業を行う事が大事だという点が主な理由。もっともな理由だと思った。確かに、一軒での作業を終える事が出来ればその家の人達の喜びもひとしおで、かつ作業を行う立場からすると達成感も満たされるだろうが、一方で「自分の家には中々助けが来てくれない」という不満や不安を抱える家庭もあるはずだ。いかんせん被害が甚大で広大な地域に及んでいる。

三日目は4グループ全員20数名で農家に伺い作業。朝方は裏庭に流れ着いた石やガレキ撤去を頼まれたが、落ちている屋根瓦は捨てないようにとの事。一辺が30センチ四方もある大きな瓦がそこかしこに転がっている。昨日の家もそうだが、ずいぶん立派な造りをしている家屋だ。

ここの家に住む奥さんの従姉妹が震災後行方不明になり、山の方まで捜索したが見つからなかった。しかし震災から二ヵ月後、津波で流されてきた泥に埋まるような形で彼女の遺体が見つかった場所がこの裏庭だった。発見場所となった胡桃の木の根元に向かい合掌。

ガレキ撤去は程なくして終了したため、表の庭の泥出し作業を手伝う。一輪車での土のう運びがこの日の仕事だったが、なにしろ立派な家なので、泥を出す庭から表通りまで数10メートルある。天気が良かったこともあり、午後は頭がクラクラしてきた。緊急情報を逃さないため、常にNHKのラジオを流しながら作業をしていたら、野党による菅内閣の原発事故対応に対する責任追及と答弁が聞こえてきた。被災地では、東京に居る時より遥かに他人事に聞こえた。

昼食には弁当が支給された。肉体労働をすると、昼食の大事さが沁みる。夕食より意識が強くなる。加えてお母さんが作って灰汁抜きした山菜をご馳走になる。他の地へ移り住むことなど全く想定してなさそうだ。

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土のう数100袋を描き出しこの日の作業を終える。しかしまだ完全には片付いていない。庭やガスコンロがきれいになったことを喜んでいたお母さんに深々とお辞儀をされながら帰る。そういえばトイレ休憩で表の道を歩いていたら、チャラそうな格好をしている男子中学生たちに遭遇した際にも「こんにちは」と挨拶された。東京での仕事の働きが悪かったこともあってか感謝されることに慣れていないため、面映い気持ちになる。ここでも一人での貢献など知れてはいるけれど。20数人の働きでも知れている。そんな作業が、きっとあと何年も必要だ。だけれども、状況は少しずつ良くなっているはずだ。

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ボランティアの参加者だが、年齢は大学生から60代まで、職業は葬儀屋さんからパイロットまでとバラエティに富んでいた。女性は3割ほど。ちなみに宿泊先はホテルで、男性陣の寝床は大広間(女性は別室)。同じ作業をしている人達が同部屋で寝起きしているからか、仲間意識が芽生えやすく積極的に友好的になろうとする。しかもタダ働きを買って出て遠方に来る様な人達なので、労働意欲が旺盛だった。かつての勤め先も友好的な方だと感じていたが、こういう気分で仕事が出来たら良いなと思った。また、差し入れの食べ物も多く風呂にも入れたため、その点の環境については東北入りする前の想像よりかなり快適だった。

ホテルに戻った後、自転車を借りて16年ぶり位に松島へ行った。地盤沈下と大潮で海面が近い。俺的東北復興支援として、地酒と地ビールを買った。

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また牛タン料理屋でも食事をしたが、店舗案内を見たら池袋Esolaにも店があったので少し萎えた。


posted by つかみ男 at 14:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 今日俺 | 更新情報をチェックする
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